+ひろこ的 写真日記

*around50 目に映る愛おしい日々の記録*

格差。

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Leica Q


私は昔から
物事を考えすぎる傾向が強い。


興味を持つものも
いろいろで


最近では
youtubeでLGBTQ、貧困、ネグレクトなど
多種多様な話題のものを見ることが多い


そこに映る映像から
いろんな世界の
いろんなことを
知ることができる


「知る。」という段階にも
いないのかもしれない


「見る。」
「見ただけ。」という
言葉の方が近いのか…


「知らなかった世界」
「これからも体験することのない世界」
などを
映像を通して見て知ることができたが


それは理解をしてわかった訳ではなく


ただ知っただけ…


自分が生きてきた世界の
狭さ、偏りみたいなもの
は知ったしわかった。


私は
全国的に裕福な街として
多くの人が知っている
ASHIYAという町で育った


父親が勤めていた会社の社宅が
そこにあったから
私はそこで暮すことになったのだが


父親は
高校生の時に鹿児島から
集団就職兵庫県の鉄工所で
働くために 出てきた
いわゆる ブルーワーカー。
(今もブルーワーカーっていうのかな?)


ということで
芦屋に住んでいても
裕福とは程遠い暮らし。


住んでる地域も
その製鉄会社のマンモス社宅団地
ゆえ
これまた周りにお屋敷がない暮らし。


だからなのか?
幼少期からお金持ちのお友達との
差をなんとなくは感じて生きてきた

 
お金やお金にまつわる色々なことを
小さな時からたくさん考えてるかも (笑)
 


お金持ちと貧しい人との格差は
幼い時から感じていた。

 
亡き母親は私が幼い頃
わざわざ 少し遠い
山側に住むお金持ちの子供たちが集まる
音楽教室に通わせてくれていた。

 
後で聞いたのは
ここで(芦屋)暮す以上
自分の家の境遇で
私が卑屈にならないように
早いうちから お金持ちの
子供たちと接する機会を設けたらしい
 
 
今 大人になって
あの頃を振り返ると
楽しい思い出ばかりだけれど


子供ながらに
どこかで
うちの家ではこれは買えないんだろうな?
これは買ってもらえないんだろうな?

友達の状況と自分の状況は
比べていたような気がする。


うらやましいなと思ったことは
多々あるよね。


ただそれでも
お金持ちの子供たちと
共に過ごせる環境に身を置ける境遇ではあった
すごく貧しい家庭だった訳ではない。


父のハングリー精神

母の質素倹約精神
に支えられて生きていた。


今の日本は
多くの子供たちが貧困に
苦しんでいるらしい


らしいと書くのは
今 私は相変わらず
同じ町が生活圏なので
貧困で苦しんでいる方と接する機会も
見聞きすることもほぼない


貧困の格差は教育の格差を生む。


それは
肌感覚として幼い時から
感じていた。

お金持ちの子=私学=頭がいい子

という式は確立されていた。


頭の良さが お家の所得などで
失われていかないような。。。


境遇は関係なしに輝ける場所が
等しくあるような。。。


そんな世の中は無理だと
嘆く前に


こういう若い人がいるんだということ
将来が楽しみな若い力が存在しているのだと
知ること。


光はないと思うのか
光はあると思うのか


大人の私たちが担う責任は
若い力(光)が伸びやかに
放てる環境を作ることなのではないのかしら??


なんて
今日みたyoutubeで感じました。

youtu.be




なんだか
熱くなってしまった (笑)


私の姪っ子や甥っ子
スタジオのメンバーの子供たちの
未来が優しくて温かな世の中で
あって欲しいと思うばかり


千里の道も一歩から…


こつこつ
私にできることを
重ねていきましょ。




Poi
Live Pono❥Hiroko



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