+ひろこ的 写真日記

*around50 目に映る愛おしい日々の記録*

新旧。

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Fujifilm X-S10
XF18-55mm


公衆電話って、、、

市街地ではおおむね500メートル四方に1台、
それ以外の地域はおおむね1キロメートル四方に1台を設置する国のルールに基づいて、
全国で10万台余りが設置されています。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210122/k10012827871000.html

なんですって。


私は一応というか
自分の生活圏内で
目についた公衆電話のことは
意識して覚えるようにしている。



公衆電話の役割は
【いざという時】に使用するものという
位置付けになっているので


その時にどこにあったか
ぼんやりでも頭に浮かぶように


電話BOXを見かけた時には
「ここにもあるのね♪」と認識作業。


意外とまだ
街角にはあるものです。


私は
忘れ物が多い人なので


うっかり携帯不携帯の状態があったり
携帯の充電が肝心な時に
切れていたりなんてことがあり


めったにはないけれども
今でも公衆電話を利用する。


公衆電話といえば
甘い思い出
切ない思い出
いっぱい詰まってるわね


私世代 アラフィフ世代の人には
あるある。なのではないかしら?


最後に入れたお金で
話せる時間の終わりを知らせる
ぶーっというあのお知らせ音。


切りたくなくて
切なくなって


胸がきゅんとくる瞬間ね。

想いを募らせる
にくい演出。。。


あのなんとも言えない
切なさって
今思うと
心を養うには必要な
プロセスだったかもしれない


忍耐力とか
距離感とか


人とのコミュニケーションの上で
必要な 遠慮っていうのかなぁ


そういうものをあぁいうことで、
あの頃は仕方無しだったけれど
自然と身に着けていけていたのだとすると


なんでも
自分の満足がいくまで
追い求められない状況下というものは


心の筋トレには必要なこと。
なんだろう


今はスマホで電源もバッテリーに繋いだまま
〇〇放題に入っていれば 通話料も気にせず
好きなだけ お話しできる


いや
待てよ


ひょっとしたら
なかば無理やり強制的に
終了せざるをえなかった
私の若い頃の方が
忍耐力を身に着けやすかったかもしれない


今は
強制終了されることがなく
自分の気持ち次第で終わりを
決められるということは


自分の意志が試されておりますな・・・


ということは
いつの時代でも


心の鍛錬というものは
形をかえど
なくなることがないということね


これは
潔くあきらめて
過ごしていくしかなさそうだ♪



公衆電話は
高齢者は使用することが
今でもあるからね
(母がそうでした。)

数を減らさないで欲しいなとも思う


Poi
Live Pono❥Hiroko



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