+ひろこ的 写真日記

*around50 目に映る愛おしい日々の記録*

写真のウマイヘタとは?

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Leica Q


写真のウマイヘタとは?

ウマイとは?

ウマイがあるからヘタがあるのか?


私は画像の編集も
snapseedという無料アプリで
ちょこっと編集するくらいなのだけれど


水平は毎回チェックする
そして直してもらう 笑


いつになっても
水平問題が立ちはだかる。。。


そういう点では 
私の写真は下手になるのだろう。
水平器ついてても 水平が取りにくいのだから 笑


技術的な下手さは否めない 
(最善は尽くしたいと思ってはおります)


それでも昔にくらべたら
随分 
水平も取れるようにはなってきた


牛歩だけれど
少しづつは前進もしている。



昨日のブログの続きみたいになるけれど
写真 特にInstagramがそうなのか?
いろいろ見ていると
雰囲気の似ている写真も多いですよね。
もちろんどれもとても素敵な写真。


誰かをお手本にすれば
どうしても似てくるよね


ダンスも同じだけれど
真似ることも
ちゃんとした上手になる
プロセス。


だから
似てるからといって
ダメなわけではなく。
真似ることができる。という
それはちゃんとした
技術のひとつではある。



そこを経てから
自分のオリジナルを生み出していく。。。



写真において
オリジナリティというものは


心の経験値の差で
生み出せるナニカはあるって思う。


あくまでも
私の個人的な見解だけれど


今見えているものに
何を見るのか?


その人の歩んできた道のりで
培った感受性が捉えるもの


それが
写真の内側に現れるような…


悲しみ
苦しみの先に
一度でも光を見たことがある人は
それを写せるだろうし


美しいものに囲まれ
優しさに囲まれて生きてきた人なら
その美しさを写せるだろう


人間不信になり
苦しみや痛みの中に生きているなら
それを写せるであろう



そういうところでいくと…



写真のウマイヘタは
見る側の精神状態や
経験値によっても
大きく違うのではないだろうか?


美しいものを見ても
美しいと感じられる
心のゆとりがない時には
それの美しさは目に留まらないかもしれない


自分がスランプの時には
どんな人の写真だってウマク感じて
落ち込むときもあるかもしれない



何気ない日常を写した
素朴な写真でも
心にとまり 心が満ちることも
あるかもしれない


写す側と見る側の
心がシンクロした時に
その写真はウマイという
カテゴリーに入るのかもね。



十人十色。
ひとそれぞれの生き方があって
それぞれの喜怒哀楽があって


それが
写真として形になる。


私にとって
いろんな人が写す写真は
自分の視野を広げてくれるもの


知らない世界も見せてもらえるもの。


ダンスもそう思って
踊り続けているけれど


私の写真を見た
誰かの心に響く写真が
1枚でも写せたなら
それは幸せなことだなぁ


そのためにも
「今を生きる。」ことに
丁寧にいようと思う
今日この頃。




Poi
Live Pono❥Hiroko



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